忌野清志郎に会えた夜。映画『愛し合ってるかい?』を観て

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清志郎に会うため、東銀座へ急ぐ

10月2日に公開された映画『愛し合ってるかい? 忌野清志郎が教えてくれた』が、まさか2週間もせずに終了してしまうとは、予想もしていませんでした。

その知らせは家人からのLINEで届きました。キヨシローと久しぶりに会えるこの機会を逃すことだけは、絶対に避けなければなりません。

仮に来週、再開されたとしても、私は出張で東京を離れることになっています。今日の夜がラストチャンスかも知れないのです。

私はその場で夕方の予定をキャンセルし、ひと仕事こなした後、東銀座に急ぎました。家人も何とか開演時間に間に合い、無事、レトロな雰囲気満載の「東劇」に入館することが出来ました。

館内には同じような年代の同じような匂いがする男女が席の半分程を埋めています。

静かなる高揚感、隠しきれない熱気が劇場の空気を満たし始めたのを感じた時、スクリーンに稀代のロックシンガー、バンドマン、ソングライター、忌野清志郎がいよいよ登場しました。

キヨシローは、私が16歳の頃から、人生という先の見えない長い道のりを頼りなく歩く私から離れることなく、寄り添い続けてくれています。

私が61歳になり、キヨシローがこの世界から去った今もなお。

映画が蘇らせた、忌野清志郎というかけがえのない才能

この映画が制作され、公開されたことについては感謝しかありません。誰に言えばいいのか分からないので、ここで深く御礼を申し上げます。

貴重な映像の数々と三浦友和、角田光代、泉谷しげる、竹中直人、三宅伸治、梅津和時(どくとる梅津)という、これ以上ないと思われる語り部のキャスティング。

そして何よりも、忌野清志郎というかけがえのない才能をあらためて目の当たりにすることが出来た恍惚感。リズム、メロディー、ステージング、オーディエンス、そしてさまざまな感情を刺激する歌詞。

全てにおいてこれほどまでに完成されたアーティストを私は知りません。

それは、私の人生とキヨシローとの関係があってこそ湧いてくる、個人的な、ごく個人的な感想でしかないことは承知した上で、なお、その想いは強く膨らみます。

キヨシローの全ての歌が、私の全ての細胞に入り込み、活性化して、私という人格を担っているからです。

そして、キヨシローと久しぶりにしっかりと向き合ったことで、あらためて、今この時代に溢れているポップスやロックの薄さ、浅さを、どうしようもなく感じるのです。

「あの頃は良かった」というつもりはありません。キヨシローの話です。

アイナ・ジ・エンドが歌う「スローバラード」に苦しいほどの感動

それでも、映画の後半、かつて何人かの女性シンガーが歌った「スローバラード」を、まさに「今」の時代を舞台に活躍する、アイナ・ジ・エンドが激唱するシーンには胸が苦しくなるほどに感動したのも事実です。

リハーサルで高音を出しきれなかった彼女が「仕上げてきます」と宣言した数時間後、最高のパフォーマンスを発揮したことに、プロフェッショナルとしての強いプライドを感じました。

そして、スローバラードの世界観をあれほどまでに繊細に、強烈に表現した彼女の才能には圧倒されました。圧巻だった梅津和時とのセッションでは、どくとる梅津と忌野清志郎がステージに帰って来たような錯覚に陥りました。

あっという間だったこの時間は、「雨上がりの夜空に」でエンディングを迎えました。

劇場に明かりがつくまで待ってから席を立った、名前も知らない仲間達の大部分がトイレに急ぐ姿には、同年代としてのシンパシーを感じ、何だか可笑しく、そして少し寂しくも感じたのです。

帰り際、キヨシローのポスターの前で写真を撮っていた数人と短く言葉を交わし、東劇を出てきた時、無性にRCサクセションのアルバムをレコードプレイヤーに乗せて聴きたくなりました。

この映画を見逃す危機を救ってくれた家人に感謝を伝え、東劇の壁に控えめに貼られた幟の前で写真を撮って、ガードレールの近くで秋の夜空を見上げました。

いい夜でした。

最後に、忌野清志郎という人が、最後まで心から願い、訴え続けていたことは「世界平和」であったことを付け加えておきます。

「愛し合ってるかい?」


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「映画の公式サイト」

『愛し合ってるかい? 忌野清志郎が教えてくれた』公式サイト」

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