はじめに
4月からの独立に向けて、パソコンのデータを整理している中で、10年程前、長女が18歳になった時に娘たちに送った、私が愛した29曲のセットリストとライナーノーツが見つかりました。ここにラインナップされた名曲たちは、時を経て再び、新しい道を歩み始めようとしている私自身へ戻ってきたように感じています。
ご紹介するライナーノーツは、娘たちに送ったままのものです。それぞれの曲に対する解釈や情報に若干の誤りがあるかも知れませんが、そこは大目に見ていただければと思います。
Your Songs ライナーノーツ
<ごあいさつ>
中学生から大学生時代、1970年代後半から1980年代後半にかけて、パパはたくさんの音楽と本に出会い、それらを貪るように聞き(読み)ました。その中のいくつかの歌や物語が、その後の長い曲がりくねった道を歩くパパの道しるべとなってくれました。
君たちが大人になって、ひとりぼっちで戦わなくてはならなくなったとき、歌はとても大きな力になってくれるはずです。選んだのはパパを支えてくれた歌たちです。君たちが君たちの“Your Song”に出会えることを祈って、パパにとっての“Your Songs”を贈ります。
<それぞれの歌について>
JUMP (1984) : Van Helen (米1978~)
リーダーの名前(エドワード・ヴァンヘレン)をバンド名としたハードロックバンド。この歌のボーカルは初代ボーカルのデイビット・リー・ロス。彼はこのあとすぐに脱退しサミー・ヘイガーが二代目ボーカルとして参加した。「JUMP」は大ヒットし、ヴァン・ヘレンの代表曲となった。この曲が町中で流れていた時、僕は大学生で19歳だった。そして時代はこの曲と同じように躍動感に溢れていた。
Bridge Over Trouble Water (1970) : Simon & Garfunkel (米1964~1970)
君に悲しみや苦難が襲ってきたら、荒波に架かる橋のように僕が橋になる(Like a bridge over trouble water/I will Lay me down)という友へのメッセージを美しいメロディに乗せて歌い上げるドラマチックな名曲。サイモン&ガーファンクルには「Sound Of Silence」「The Boxer」「America」など多くの名曲があるが、それらは宝石のように美しい。僕は中学生のときに「Sound Of Silence」に出会い、貸しレコード屋やFMラジオで漁るように彼らの曲をチェックしまくった。1981年セントラルパーク(ニューヨーク)での再結成コンサートには50万人以上を動員し、ふたりは今も歌い続けている。
Wonderful World (1960) : Sam Cooke (米1957-1964)
「僕には歴史も生物も科学も分からない/でも君を愛しているってことは分かるよ/君も僕を愛しているなら、どんなに素敵な世界になるだろう」とサム・クックは語りかけてくる。シンプルでストレートなラブソング。しかし「君」を「白人」に置き換えるとこの曲にサム・クックのもうひとつのメッセージが込められているのが分かる。有色人種に対する偏見がまだ大きく残っていたこの時代のアメリカに対して「黒人も歴史や生物や科学も学べなきゃ素敵な世界にならないんだよ」サム・クックはそう言いたかったのかも知れない。でもこの曲がシンプルで最高にいかしたラブソングであることに変わりはない。
(I Can’t Get No) Satisfaction (1965) : The Rolling Stones (英1962-)
あまりにも偉大なロック・バンド。すでに伝説でありながら1962年の結成から一度も解散せずに活動し続けている。ボーカルのミック・ジャガー、ギタリストのキースリチャードのスタイルやステージングは無数のバンドやミュージシャンに影響を与えてきた。「Satisfaction」は最も有名な代表曲。ミック・ジャガーは「この曲が俺達を一介のロック・バンドから巨大な怪物バンドに変えたんだ」と言った。中高生の時、ロック好きは大抵、ストーンズ派かビートルズ派に分かれていた。ストーンズ派のほうが玄人っぽくてカッコ良かったけど、僕はビートルズ派だった。
Da Ya Think I’m Sexy? (1978) : Rod Stewart (英1964-)
音楽性やスタイルに一貫性がないとか、ロッド・スチュワートのアーティストとしての評価には必ずしも好意的でないものも多いけれど、彼が超一流のシンガーであることは間違いない。彼のハスキーボイスはぞくっとするくらいセクシーだし、ほかの誰にも真似出来ない雰囲気がある。私生活も音楽性もふらふら浮ついていて、ちょっといかさまっぽいところも逆に好きである。選んだのは最もロッドらしい曲で彼の代表曲でもある「アイム・セクシー」。この曲がブラジルのアーティストの盗作であることが後に判明したが、そんなエピソードもロッドらしいと言えばらしい。
Daydream Believer (1967) : The Monkees (米1965-1970)
過熱するビートルズ人気に続けと1965年に結成されたバンド。僕はこのバンドにほとんど興味はなかったんだけど、「デイドリームビリーバー」だけは昔から大好きだった。実はこれがモンキーズの曲であることを知ったのは随分年を取ってからのこと。軽快な曲調とこの歌から感じられる朝の雰囲気が好きだった。でも改めて歌詞を見ると、かなりどうでもいい内容だな。
Stairway To Heaven (1971) : Led Zeppelin (英1968-1980)
なんでこんな旋律が生み出せるのだろうと「天国への階段」を聞くたびに感動する。ジミー・ペイジが奏でたギターリフは世界中の数え切れないギター小僧にコピーされた。高校時代の友達もバンドやっていた奴はほとんどがこの曲にチャレンジしていた。簡単という理由もあるんだろうけど、最大の理由は間違いなくかっこいいからだ。レッド・ツェッペリンはヘビーメタルというジャンルを生み出し、ロックに無限の可能性を与えた偉大過ぎるバンド。
I Was Made For Lovin’You (1979) : Kiss (米1973-)
白塗りの顔の真っ赤な口から火を噴きながらシャウトし、長い舌を出して白目を剥くジーン・シモンズ。小学生の頃、初めて見たKissは恐ろしい悪魔の集団に見えた。それから何年か経って友達から借りたレコードを改めてゆっくり聴いたとき、彼らのサウンドが正当でストレートなロックンロールであることに気付いた。「デトロイトロックシティ」「ハードラックウーマン」「ラブガン」など名曲がたくさんある。中学生の頃、友達から借りたレコードがこの「ラヴィン・ユー・ベイビー」。聞いてすぐ好きになった曲だった。
Happy Christmas (War is over) (1971) : John Lennon (英1957-1975,1980)
「そう、今夜はクリスマス。どんな1年だった?」とジョンがやさしく囁きかける。
And so this is X’mas.
For weak and for strong.
For rich and the poor ones.
The world is so strong.
And so happy X’mas.
For black and for white.
For yellow and for red ones.
Imagine (1971) : John Lennon (英1957-1975,1980)
ジョン・レノンからもう一曲。
「想像してごらん/国なんてないと/そんなに難しくないよね/殺す理由も死ぬ理由もない/そして宗教もない/誰もが平和に生きていると」
「君は僕を夢想家というかも知れない/でもひとりじゃないはず/僕はいつの日かみんながひとつになることを望んでいる/そして世界はきっとひとつになるんだ」
ジョン・レノンは1980年12月8日にニューヨークのダコタ・ハウス(自宅アパート)で狂信的なファンに射殺された。僕らはいつの時代も、そして今も(今こそ)、ジョンの夢想とも思えるメッセージを胸に強く、深く刻み込まなくてはならない。「想像すること、強く願うこと、それが実現すると信じること」
Move Over (1971) : Janis Joplin (米1963年頃‐1970)
ジャニス・ジョプリンは27歳で死んだ。死因はヘロインの大量摂取だった。魂の叫びを歌に代えることの出来る稀有なシンガーは孤独の中で死んだ。その歌声の中には迫力という言葉では表しきれない激しすぎる何かが存在する。高校3年のとき同級生が教えてくれた「サマータイム」を聞いたときの心をかき乱されるような感動を僕は今でも覚えている。「Move Over」は遺作となったアルバム「PEARL」に収められた、ジャニスのボーカルが炸裂する名曲。彼女がもし生きていたらどんな歌を唄っているんだろうと想像することがある。もっと沢山のジャニスの歌を聴きたかったと思う。彼女の歌を一度聞いてほしい。そしてその後、何度も聞いて欲しい。
Layla (1970) : Derek & The Dominos (英1970-1971)
1970年にエリック・クラプトンが結成したバンド。活動期間は1年間だけだが、名曲「Layla」を残した。クラプトンのギターによるイントロはあまりにも鮮烈。いつの時代に聞いてもその刺激的なオーラが薄れることはない。バンドのメンバーは解散後、それぞれに散々な人生を歩む(あるいは死ぬ)ことになったが、クラプトンだけはドラッグ中毒から立ち直り、今なお最高のギタリストであり続けている。クラプトンのギターには命が宿っている。
Alison (1977) : Elvis Costero (英1977-)
エルビス・コステロはスーパースターではあるけれど、どこかマニア受けする、ひねくれもの的な匂いがする。そんなところが彼を好きな理由でもある。このロマンティックなバラード「Alison」は美しいメロディーと確かな演奏そして、しわがれて最高に魅力的なボーカルによって構成される名曲であるにも関わらず、その歌詞は、自分を捨てた女に対する未練たらたらのどうしようもない男の話。最高である。
Your Song (1970) : Elton Jhon (英1969-)
両性愛者として知られ、大がかりな人工植毛手術や視力矯正手術をしたり、2005年には男性と結婚したりとどちらかというとネガティブな話題には事欠かない。でもそんなことはどうでもいい。彼の作るメロディーはただ美しく、歌詞は優しさに満ちている。僕のエルトン・ジョンのベスト曲は、マリリンモンローの死に捧げた(後にダイアナ元王妃のために歌った)「Candle In The Wind」とこの「Your Song」の2曲。いずれも優しくてシンプルで美しいラブソング。「Your Song」は和訳すると(そのままだけど)「あなたの歌」。素敵なタイトルである。”How wonderful life is while you’re in the world”
Desperado (1973) : Eagles (米1971-1980)
中学1年生のとき「世界で一番いい歌を聞かせてやる」と同級生に放課後の音楽室に呼び出され、大音量で聞いたのがイーグルスの「ホテルカルフォルニア」だった。あまりにも有名なイントロ、泣くようなギター、哀愁漂うボーカルに「なるほど世界で一番いい歌なんだな」と素直に感動した音楽室の空気を今でもありありと思い出すことが出来る。この歌は同級生の言葉どおり、1970年代を代表する曲となったのだが、僕が選んだのは「ホテルカルフォルニア」以前の1973年にリリースされ、今も様々なアーティストに歌い継がれている、哀愁感いっぱいのバラード「Desperado(邦題:ならずもの)」。とにかく理屈抜きで大好きな一曲。
Arthur’s Theme (Best That You Can Do) (1981) : Christpher Cross (米1971-)
顔からは想像もつかないハイトーンボイスの持ち主であるクリストファークロスはこの曲でAORを代表する歌手になった。(AORとは1970年代後半以降の西海岸ポップロック。アダルトな雰囲気の落ち着いたサウンドの総称)この「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(邦題)」は、1981年に公開されヒットした映画「ミスター・アーサー」の主題歌として大ヒットした。高校生の僕は日比谷の映画館で聞いた、洗練されたメロディと美しい声によって構成されたドラマチックなこの歌が大好きになった。映画の内容は覚えていないけど。
Girls Just Want To Have Fun (1983) : Cyndi Lauper (米1978-)
1980年に自己破産の申請をした彼女の裁判で裁判長は「Take her to sing a song canary(カナリアに歌を唄わせてあげなさい)」と言った。その後メジャーデビューしたシンディ・ローパーはファーストシングル「ガールズ・ジャスト・ワナ・トゥ・ハブ・ファン」で大ブレイクした。カナリアは歌を取り戻したのだ。彼女自身の生き方と同じように天真爛漫で自由奔放な歌声は、きっと沢山の人を幸せな気分にしたはずだ。
It’s Too Late(1971) : Carole King (米1958-)
キャロル・キングは1973年にリリースした名盤「Tapestry(邦題:つづれおり)」でグラミー賞を獲得した女性シンガーソングライター。なんとこのアルバムは全世界で2200万枚を売り上げた。「It’s Too Late」はこのアルバムからシングルカットされたヒット曲。メローな歌声と旋律は元祖癒し系と言えるだろう。2012年にキャロル・キングは「これ以上、新しい曲を書いたり、レコーディングしたりすることはない」と発言した。そしてこれまでを振り返り「望んだことをすべて行ったと言えるわ」とコメントしたという。年をとっても素敵な人間は素敵なんだな。
Born To Run (1975) : Bruce Springsteen (米1973-)
叩きのめされるたびに、何度も何度も僕を甦らせてくれたのはブルース・スプリング・スティーンの歌とそして彼の魂そのものだった。最悪な状況にあるとき、いつもブルースの歌は僕に寄り添ってくれた。不思議だけど、もうだめかも知れないと思うとき、いつもブルースの歌が聞こえていた。彼の歌に出会っていなかったら、多分、僕は今の僕ではなかったと思う。「Born To Run」は今なおブルースの代表曲であり続けている名曲。これからもずっと走り続けるんだ、という自分なりの宣言を込めて僕はこの曲を僕たちの結婚パーティーの入場曲に選んだ。”cause tramps like us,baby, we were born to run”
No Surrender (1984) : Bruce Springsteen (米 1973-)
ブルース・スプリングスティーンからもう一曲。
これはアルバム「Live1975-1985」に収録されたアコースティックバージョン。軽快な原曲もいいが、僕はこのバージョンがとても好きだ。「俺たちは約束した。けして忘れないと誓い合った。けして退却しない、けして降伏しない」と唄うこの曲は、倒れそうになった僕を奮い立たせ、勇気づけてくれた。ブルースの歌は政治的なメッセージが強いと言われる。確かにそれは事実であるけれど、僕にとっては非常に個人的な、僕自身の心に直接届けられるメッセージに他ならない。それは歌詞だけでなく、メロディーだけでなく、リズムだけでなく、それらをすべてひとつの塊として感じる。ブルースがアルバム「Born In The USA」で絶頂期を迎える前の1982年頃から鬱病に悩まされ続けたことを僕はつい最近知った。僕を含めた世界中のファンに勇気と力を与え続けてくれていた本人が、重圧の中で深く傷ついていたのだと思うとやり切れない思いになる。
Livin’ On A Prayer (1986) : Bon Jovi (米1984-)
リーダーでボーカルのジョン・ボン・ジョヴィを中心としたハードロックバンド。ハードロックでありながらポップステイストで軽快な「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」はボン・ジョヴィの代表曲にして最高傑作。ジョン・ボン・ジョヴィのハスキーで迫力満載のボーカルは気分を高揚させてくれる。トーキングモジュレーター(演奏機器)によるイントロから気分はイケイケ状態になる。心が元気なときに聞きたくなる曲。
No Woman No Cry : Bob Marley & The Wailers (ジャマイカ1962-1981)
レゲエの神様、ボブ・マリー。ラスタファリ(1930年代にジャマイカの労働階級と農民を中心に発生した思想運動)の思想を背景とした彼の音楽は世界中の人々に多大な影響を与えた。ジャマイカでは国民から神のような尊敬を集め、1978年には国内で対立していた政党の党首をステージにあげて握手させるなど、その影響力は音楽にとどまらなかった。レゲエという音楽はそもそもその起源からして民族、独立など思想、政治の影響のもとに生まれたが、そのような時代的、政治的背景を抜きにしても、レゲエのメローなリズムはいつも心地良い。「ノー・ウーマン・ノークライ」とは、出会った時(20歳頃かな)からつかず離れずといういい関係を維持している。
The Stranger (1977) : Billy Joel (米1971-)
イントロは切ないピアノで始まり、さらに切ない口笛が重なる。このイントロを聴くとN.Yの路地をコートのポケットに両手を突っ込んで歩く男の姿が思い浮かぶ。N.Yには行ったことがないのに音楽ってすごいといつも感動する。この曲とこの曲を収録した同名のアルバムはビリー・ジョエルを一気にスーパースターに押し上げた。この曲に出会った時、僕は中学1年生だったと思う。この哀愁のイントロとその後ドラマティックに展開するこの曲を「最高にイカしてるんだぜ」と友達に宣伝しまくった。
How Deep Is Your Love(1977) : Bee Gees (豪・英1955-2003)
ビージーズは音楽史上最も成功した上位5組に数えられる男性ボーカルグループ。世界中のディスコで流れていた彼らのナンバーが1977年に公開されて大ヒットした映画「サタデーナイトフィーバー」で全面的に取り入れられたことでその人気は決定的となった。ビージーズの歌を聞くと明るい夜の街が思い浮かぶ。キラキラしていてワクワクする夜の熱気。未来は輝き続けていた時代の記憶が蘇る。この曲はアルバム「サタデーナイトフィーバー」からシングルカットされ、続編映画のタイトルにもなった。疾走するごきげんなナンバーだ。
Bohemian Rhapsody: Queen (英1971-)
クイーンのライブ盤、「ライブキラーズ」が発売された1979年、中学生の僕はこの名盤を廉価な輸入盤で手に入れて、貪るように聞きまくった。興奮はしばらくの間鎮まることはなかった。そのアルバムに収録されている圧倒的な迫力のこの曲は、ロックオペラと称される。クイーンは1991年、カリスマボーカルのフレディー・マーキュリーをAIDSによって失ったが、その後もポール・ロジャースをボーカルに召集するなどして活動を続けた。ブライアン・メイは「マーキュリーの代役は誰にもできない。だから彼と全く違うポールを選んだのだ」と言った。2011年、日本のマスコミに対してロジャー・テイラーは「クイーンは永遠に続ける」と宣言している。
Like A Virgin(1984) : Madonna (米 1982)
マドンナは1982年、この「Like A Virgin」で一気にスターダムを登り詰め、今に至るまでスーパースターであり続けている。当時高校生だった僕らは、なかなか情報を得ることが難しかった洋楽がMTVによって身近になり、海外のアーティスト達の映像がテレビで流されるようになったことに歓喜した。土曜日の深夜に放送されていた「ベストヒットUSA」(小林克也の軽快なDJに乗せてミュージックビデオを流す洋楽のカウントダウン番組)に熱狂した世代にとってマドンナと「Like a Virgin」は象徴的な存在であり、マイケル・ジャクソンとともにこの潮流のアイコンでもある。
(Sittin’ On) The Dock Of The Bay : Otis Redding (米 1960-1967)
1967年12月、オーティス・レディングは飛行機事故によって死んだ。わずか26歳だった。にもかかわらず、オーティスは世界中のR&Bに多大な影響を与えた偉大なソウルマスタである。彼の曲はローリングストーンズやアレサフランクリン、そして忌野清志郎(RCサクセション)など数多くのアーティストやバンドにカヴァーされている。僕がオーティスを知ったのもRCサクセションのライブでこの「The Dock of The Bay」がカヴァーされていたからだ。この曲は事故の3日前に録音され、オーティスにとって唯一のビルボードNo1となった。
Beat It (1983) : Michael Jackson (米1967-2009)
「King of Pop」 マイケル・ジャクソンは2009年に没するまで王様であり続けた。1982年にリリースされた「スリラー」のミュージックビデオはまさしく衝撃的だった。それからマイケルは様々な世代でのスーパースターであり続けた。その人生が常にそうであったように、その死もまたドラマティックだった。「Beat It」は黒人音楽の壁を越え、ジャンルの壁を壊すというコンセプトでエディ・ヴァン・ヘレンを起用して大ヒットした代表曲。
I Just Called To Say I Love You (1984) : Stevie Wonder (米1961-)
物心つく前に失った視力の代わりに神様は彼に音楽を与えた。美しいメロディーラインを持つ名曲を数多く生み出した。グラミー賞受賞が最も多いシンガーであり、トップチャートにも数多くの曲を送り込んでいる。僕にとってはそれほど影響力の大きなアーティストではなかったが、1984年、映画「ウーマン・イン・レッド」の主題歌となったこの歌は大切な歌のひとつになった。「あなたを愛しているって言うために電話しただけなんだ」というタイトルが曲のサビになっている。素直で素敵なラブソングだ。
Let It Be (1970) : Beatles (英1960-1970)
ビートルズとの出会いは中学1年生の時だったと思う。当然、その頃ビートルズは既に解散していたが、そんなことはどうでもいいことだった。僕は全てのビートルズ初心者と同じように赤盤、青盤(ビートルズのオールベストにして入門書)を手に入れて、一曲一曲を大事に丁寧に聞き込んだ。ビートルズが全ての始まりだった。青盤に収録されていた「Let it be」は、彼らのラストシングルであるとともに、ラストアルバムのタイトル曲でもある。とても有名なピアノによるイントロに続いてポールは「なすがままに、なるがままに」と繰り返す。それが分裂状態にあったビートルズに悩んでいた彼の出したひとつの答えだったのだろう。Let it beのあと、ビートルズは10年の活動に終止符を打った。でもそれは終わりではなかった。世界中の誰もが知っているとおり、ビートルズは今でも続いている。
スローバラード(1976) : RCサクセション (日 1969-1991)
RCサクセションと出会った時、僕は16歳で高校1年生だった。アルバム「BLUE」がリリースされる少し前、RCサクセションが絶頂期へ向かっている頃のことだ。それから今までRCと清志郎の歌はいつも僕のそばにいた。まるで親友のように、ひと時も離れることはなかった。勢い余るまで全力で走っていた時も、恋に破れたときも、家族を持った時も、暗い坂道で迷い続けた時も、運命につぶされかけた時も、RCサクセションはいつでも変わることなく僕の隣にいて、ただ歌ってくれていた。清志郎が死んでしまった今でも。
ステージング、サウンド、オーディエンス、RCサクセションは間違いなくこの国が生んだ最高のロックンロールバンドだ。この曲「スローバラード」はRCサクセションの暗黒時代にシングルリリースされ、全く売れなかったが、ブレイクした後もライブで必ず歌われることになった超名曲。言葉はない。ただ目を閉じて聞けばいい。
おわりに
洋楽を聞くことがない娘たちは、私が贈った「Your Songs」に興味を持っていないようで、今までこのライナーノーツのことが話題になることはありませんでした。
しかし、それは私の思い違いだったようで、このライナーノーツを見つけたことを彼女たちに伝えると、それぞれにこのラインナップの中で好きなナンバーのことを話してくれたり、実はApple Musicでプレイリストを作っていたりと、それなりに伝わっていたのだと、なんだか嬉しくなりました。同時に娘たちに贈ったこれらのナンバーが、出会いから長い年月を経た今でもなお、私を励まし、寄り添い続けていてくれていることを強く感じました。
音楽って、ロックンロールって、本当に素晴らしい。
No Music、No Life