美しい悪夢
東葉高速鉄道直通東西線の最終に揺られながら、ずいぶん長い間見ていなかった夢を見ていました。青い海面の上で泡立つ波と、砂浜に脱ぎ捨てられたカラフルなビーチサンダルたち。目覚めた後も色彩に満ちた景色が瞼の奥の方に居座っていました。

ほんの僅かな浅い眠りだったはずなのに、ひどく長い眠りから覚めたようにぼーっとした頭に2010年の秋から2011年の春にかけて、私に降りかかった数々の災いの記憶が甦ってきたのです。
災いの連鎖
災いの連鎖の始まりは、2020年9月に茨城の海でサーフィン中に赤エイに足を刺されたことでした。ウェットスーツのまま救急車で病院に運ばれ、味わったことのない程の激しい痛みを体験しました。

12月には息子のように可愛がっていた愛犬を亡くし、その2ヶ月後に凍結したアスファルトでコントロールを失った対向車に正面から突っ込まれました。生きているのが不思議な程に激しい事故でした。原型をほぼ無くし無惨な鉄の塊になった愛車が、海にほど近い農道で蹲っている光景は何とも言えずシュールだったことを覚えています。

そして2011年の春先、東北を中心とする東日本が大きく揺れ、想像を絶する津波が多くの地域を飲み込みました。私は浜松町のオフィスビルで大きな揺れに遭い、ロビーに設置された大型テレビで押し寄せる津波に、様々なものが飲み込まれるニュース映像をリアルタイムで見ることになりました。それは本当に衝撃的な光景で、自分を含めた多くの日本人の死生観が大きく変わることを漠然と感じていました。

それから1ヶ月後、私はサーフィン中に心筋梗塞を発症して、開胸を伴なう大きな手術を経験しました。生存確率の低い危険な状況でした。大震災の余震が続く中で手術台に横たわり、殺風景な天井を闘志に似た強い感情で見据えた私の首の内頸静脈に挿入された管から麻酔薬が入れられたのと同時に、私は深い眠りに落ちました。

奥底に巣喰う傲慢さ
東西線の最終電車の固いシートで目覚めた時、それが手術から数年の間、頻繁に浅い眠りに訪れて、私を悩ませていた夢であることをすぐに理解しました。それは、心臓発作で焦点の合わなくなった瞼の裏に刻まれた忘れ得ぬ光景です。カラフルで美しい、死の予感に満ちた悪夢です。

短い期間で次々と災難に襲われながらも、大きな後遺症を残さず生き残ったことで、私はそれまでとは少し異なる人生観を持つこととなりました。それをうまく言葉にするのは難しいのですが、「何を持ってしても、根本的に自分を損なうことは出来ない」という漠然とはしているものの、確固とした強い感覚でした。ともすると、私の深いところに潜んだその塊(かたまり)は、自分を今まで以上に傲慢にして、人を見下したり、地道な営みをないがしろにしたりするであろうことに気づいていましたから、私は注意深く、それが顕在化しないように日々を過ごす事を心がけました。

警告
しかしながら、当時を振り返り、隠すことの出来ない傲慢さが多くの人を不快にしたり、傷つけていたことに気づくようになったのです。今、その傲慢さは沈静化しているように思いますが、私の奥底に潜んでいるような気もします。私は改めて、注意深く、私の内なるどこかで機会を伺っているであろう、その塊(かたまり)をコントロールしていかなければなりません。60歳を目前にして見たあの夢は、少しでも良い人生の後半戦を歩いていくための、警告だったのかも知れません。
