大人になって出来た友達

会社設立

日比谷線で秋葉原へ

大人になると友達はなかなか出来ないと言われますが、幸運なことに私は何人かのイカした(何人かはイカレた)友達に巡り合うことが出来ました。かなりの大人になってから。            その中のひとりであるK.Kに、会社を辞めて起業することを話すため、私は久しぶりに日比谷線に乗って彼のオフィスがある秋葉原に向かったのです。

年下の上司

K.Kは私が初めて仕えた年下の上司です。当時の私は、某業界担当の営業課長を任され、コンペやトラブル対応に追われる日々を送っていましたが、K.Kが私のチームに部長として着任したのも、重要顧客との大きなプロジェクトがスタートし、張り詰めるような緊張感が溢れかえっている時期でした。

ひとつ年下の彼は、なんだか頭の良さそうな顔立ちと、柔らかい物腰の「いいひと」感満載で、正反対のキャラクターを持つ私との関係を心配する人も少なくなかったと、後になって耳にしました。   しかし、周囲の心配もなんのそので、そのプロジェクトが軌道に乗り出す頃には、私たちは、かなりいい感じのコンビになっていたのです。

相棒

「相棒」と呼べる存在を得たことで、私はそれまでになかった営業スタイルを手にしました。すなわち、暴れん坊の営業課長である私が、深慮深い営業部長であるK.Kにうまく手綱を握られている、という構図です。私たちは、阿吽の呼吸を合わせながら、絶妙のコンビネーションでお客様から安心感を獲得するという、なかなか高度な手法を身に着けていました。まるで熟練の漫才コンビみたいに。

K.Kが私の上司であった4年間、私たちは、いくつかの大きなトラブルに向き合うこととなりました。それまでに経験したことのない、しびれるような案件にタッグを組んで立ち向かったこともありました。どれもなかなかに手強い相手でしたが、どんな場面においても私には、何というか、いい意味での余裕のような心持があったと記憶しています。「まあ、何とかなるだろう」という感じで。

なぜ、そんな風に安定した心持であれほど高かった壁たちを乗り越える事が出来たのか。あの頃、年下の上司が私を必死に守ってくれていたことに気づいたのは、残念なことについ最近のことです。

先輩・後輩

K.Kが栄転して以降、私たちは上司と部下でも、顧客とセールスマンでもなく、ただの先輩・後輩の関係になりました。でも、ただの「先輩」になった今でも私は、彼が上司だった頃に見せてくれた高度な調整力や秀逸なバランス感覚という、ビジネスマンとしての高い能力に敬意を持っていますし、何かあれば相談に乗ってもらう事もあります。相談と言っても、大した答えは期待してないし、そもそも彼に話をするときには、答えは決まっているので、相槌を打ってもらえるだけでいいのです。会って話す機会は決して多くありませんが、時折、そんな風にして他愛もない話をするのは、私にとって大切な時間です。

彼のオフィスの近くにある中華屋で餃子定食を食べながら、独立起業を決めたことを話し終えると、彼は笑って「いいですね!」と応援してくれました。特に素晴らしいアドバイスはありませんでしたが、まあ、それで十分です。

いつの日か彼と楽しい仕事を一緒にやれる日が来るといいなと、そんな風に思うことが多くなりました。

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