音楽フェスに初挑戦

趣味

初めての音楽フェス、ロッキンジャパン2024

専用バスが東京駅を出る頃には、昨日から降っていた雨は止み、常磐道を北上するに連れて、雲の切れ間から青空が覗くようになりました。台風の影響が大きく残るだろうという天気予報は、いい方向にハズレて出足好調、期待は膨らむばかりです。

音楽フェスに参加することは、近くて遠い夢であったのですが、ダメ元で応募したロッキンジャパンのチケットが奇跡的に当選し、晴れて初めてのフェス参戦と相成りました。

この日は、ロッキンジャパン2024の最終日にして、フェスからの卒業を発表したサザンオールスターズがトリを飾ることから、多くの観客が集まりました。そんな日のチケットを獲得出来たことに改めて感謝しながら、私は晴天のひたちなか国営公園の売店で少し強めの風に吹かれながら、一杯目の生ビールを流し込みました。

そんな風にして、私にとって初めての音楽フェス挑戦はスタートを切ったのです。

ウッドストックとロッキンジャパン

私にとっての音楽フェスの原体験は、ビデオ映像で見た1969年のウッドストックです。無数の群衆の熱狂が、ブラウン管の向こう側から、中学生の私に圧倒的な臨場感をもって迫って来たのを覚えています。憧れのアメリカで開催されたそのイベントと同じような光景が目の前に広がっていることに、そして自分がその群衆のひとりになっていることに、感慨を深くする私でした。

ももクロから緑黄色社会、Creepy Nutsと若く魅力的なアーティストが続き、なかなかステージ付近を離れる事が出来ませんでしたが、なんとか合間を縫って会場を散策しました。テントを張って飲みながら楽しむ若者たち、シートに寝そべって流れる音楽に身を任せる家族、飲食エリアで人気のキッチンカーに並ぶ人たち。それぞれがそれぞれのスタイルでこのイベントを楽しんでいました。それはとても素敵な空間で、やはり勇気を出して音楽フェスに参加して本当に良かったと、私はやっとありついた2杯目のビールをグイっと煽るのでした。

THE YELLOW MONKEY

この日、私の心を強く震わせたのは、「THE YELLOW MONKEY」のスマートで重厚なグラムロックでした。私は特にイエモンのファンという訳では無く、ステージ近くに陣取ったのも、彼らの次の演者であるサザンオールスターズ フェス最後のステージを少しでも近くで見るためだったのですが、2曲目の「SPARK」のイントロが流れる頃にはすっかり「イエモン」に魅了されていました。吉井和哉さんの微かにかすれた低くエモーショナルな歌声は、そのメッセージ性の高い歌詞と相まって、私の胸に深く深く染み込んで来たのです。

  ’’素敵な物が欲しいけど

    あんまり売ってないから

          好きな歌を歌う’‘ 

             「JAM」より

吉井さんのボーカルが、ひたちなかに集まった群衆を包み込みます。アーティストの好みも、性別も年齢も異なる様々な人々、ひとりひとりに彼のメッセージはとてもシンプルに、ひどくセンチメンタルに響き渡ります。

初めての音楽フェスで感じた、この心の震えみたいなものを、決して忘れたくないと私は思いました。

深く飲酒したときに限らず、ここ最近、特に物忘れが激しくなってきている自分を実感しているからこそ、私はこの光景を、この歌声を、爽やかに吹き抜ける風や夕闇を迎える前の空気の匂いを忘れないように、必死に心に焼き付けようとしました。

忘れないように、忘れないようにと呟きながら。

フィナーレ

この日でフェス卒業を宣言していたサザンの桑田さんは、アンコールの最後にその日の出演者を全員ステージに呼び入れて、フィナーレを飾りました。豪華で印象的で完璧なフィナーレでした。そして、ひたちなか海浜公園には数十発の花火が打ちあがり、このフェスが終わったことを5万人の群衆に告げました。こうして私の小さな挑戦は最高の形で完成したのです。

絶望の中にあっても小さい希望の光を頼りに進んだと、病とコロナを乗り越えたボーカリストは語りました。俺たちは我慢してただけじゃない、と。

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