銀座の思い出(1)

会社設立

銀座2丁目から3丁目へ

ちょっとした用事があって、東西線と銀座線を乗り継いで銀座に来ました。伊東屋で年末に買いそびれていた今年のダイアリーを購入した後、松屋通りのスターバックスに移動して、30分程極めて事務的な面会を終えると、その日の予定は全て終了しました。まだ昼前だし、正月明けの空はきれいな冬晴れで、そのまま帰るのは勿体ない気がしたので、寿司でもつまみながらビールでも飲む事にして築地に向かいました。かつて、ずいぶん長い期間、この道を歩いて、ここに本社を構えるお客様のオフィスに日参したものです。いろんな事があったな、と当時に思いを馳せながら、恰好の散歩日和を味わう2024年の幕開けです。

厳しいビジネス状況

Nさんに初めて会ったのは15年以上前、彼はA社の情報システム部の若きエースでした。当時、A社における我が社のシェアはほとんどゼロで、ライバル会社の一人勝ちを許している状況でした。そんな状況下でA社担当チームの営業課長を拝命した私でしたが、しばらくの間、提案を聞いて貰うことすら出来ない状況が続きました。圧倒的キーマンであったNさんが高い障壁になっていたからです。電話をしても出てくれない、やっと電話が繋がっても体よくあしらわれる。当然メールはスルーです。A社の社員通用門での待ち伏せ(早朝)、出待ち(夜遅く)は、一度や二度ではありませんでした。ザ・昭和営業で、今となっては暑苦しくてカッコ悪いと思われるかも知れませんが、その時は本当に必死でした。A社とのビジネスを再開することが、私に課せられた最大の使命だったからです。面会にすら応じてもらえない状況に、私の苛立ちは日々募っていました。ただ、Nさんが私に会う事を頑なに拒んだのには深い理由があったのです。

事態好転

いくつかの誤解といくつかの事実が複雑に絡み合ったその理由について、ここで触れることはしませんが、ふたつの出来事が状況を大きく好転させました。ひとつは、A社と我が社の幹部が、あるパーティーで一緒になり、同郷であることが分かって意気投合したこと。もうひとつは、他社にはない我が社独自の技術が、A社が抱えていた課題を解決する可能性が高いと分かった事です。パーティーでの会話を受けて、A社の幹部からNさんに、私の話を聞くようにという指示があったタイミングと、簡単な提案書を添付した私からのメールをNさんが読んだタイミングがうまく一致した事で、私は晴れてN社の銀座本社ビルに、正面玄関から入ることを許されたのです。

ビジネスというのは、得てしてこういうものです。

少し遠回りして、A社本社ビルがある通りを歩いて築地に向かいました。久しぶりに本社ビルの正面玄関を見て、あの時の緊張感が思い出されました。

話が長くなりそうなので、続きは次回、お話しします。(続く)

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