渋谷と築地

会社設立

渋谷の会社

若い頃、ちょっと変わった会社(変わった会社といっても、真っ当なIT企業です)に出向していた時期がありました。25歳から30歳まで、社会人としての青春時代を私はそのNI社で過ごし、多くの個性的な人々に出会い、いくつもの刺激的な出来事に遭遇しました。そこでの経験が、私のセールスマンとしての骨格のようなものを形成したのだと思います。私に少し風変わりなところがあるとしたら、ここでの原体験がどこかに強く残っているからなのでしょう。

大手通信N社と外資系コンピューターメーカーI社の合弁会社であるNI社は、180度異なる互いの文化がぶつかり合うことで、独特の新たな文化を形成していました。本社ビルがあった当時の渋谷の街と同じように、そこには、るつぼのような混乱と熱狂が充満していたように思います。もしかしたらそれは、バブル期という時代の熱と、興奮と苛立ちをめまぐるしく繰り返す20代後半のエネルギーが作り上げた幻想なのかも知れませんが、その記憶は強い肌感覚として残っているのです。

築地のオフィス

その日、私は東京メトロ日比谷線を築地駅で降り、現在のNI社の本社オフィスを訪れました。当時、N社からの出向者だった私を何かと気に掛け、仲良くしてくれたふたりの先輩と久しぶりの再会を果たすためです。

飲み屋集合でも良かったのですが、業績好調の恩恵で今年オフィスを改装したとのことだったので、飲む前にオフィスツアーをしてもらうことにしました。もう30年も前の事ですから、当然と言えば当然ですが、新しいオフィスには渋谷時代の面影は微塵もなく、観葉植物や洗練されたオフィス用品でコーディネートされた、まるでGAFAのどれかのオフィスみたいに洒落た空間が広がっていて、「なんだか立派になったな」と誰にともなく呟いた私でした。

憧れのセールスマン

場外市場の端の路地にある、渋くてうまい寿司屋「本種」に場所を移して、3人でサッポロラガービールで乾杯しました。赤星が3本空いた頃、I社の営業マンだったFさんが数年前に亡くなったという話を聞いて、私は言葉を失いました。Fさんは私にセールスを教えてくれた憧れの営業マンで、彼との出会いがなかったら、私はこんなにも長くセールスマンを続けることはなかったと思います。色黒の精悍な顔とスマートな営業スタイルが脳裏に蘇ってきて、俄には彼の死を実感することが出来ませんでした。

話を進めるうちに、Fさんの他にもあの頃の仲間や上司の何人かが亡くなっていた事を知り、驚きと共に、忙しさにかまけてかつての仲間の訃報を知る術すら無くしていた自分に愕然としました。それにしても、あの渋谷で同じ時間を共有した仲間や先輩たちが、他より高い確率で早世していると感じるのは気のせいでしょうか。個性にあふれた人達だったからこそ、喪失感が大きいのかも知れません。

生き続ける

時間は容赦なく流れ、かつて、るつぼの中でギラギラと輝いていた熱狂は、もはや夢の跡でしかありません。誰もが年をとります。そして誰かは死に、誰かは生き続けます。生き続けることが幸せかと問われても答えはありませんが、残った私達は、全力で生きるしかないのです。そうやって、生きている事への責任を果たすしかないのです。

その日再会したふたりは、あの頃のままの変わらぬ表情で、力強く生き続けていました。少なくともその事に、こうして再会出来た事に感謝しなくてはならないと、かつての同志と握手を交わした、梅雨入り前の築地の夜でした。

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