旧友と大谷のホームラン

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再会とホームラン

ロサンゼルスドジャースの大谷翔平選手がホームランを打つたびに、大学時代の同級生KとLINEを送り合うのが最近の朝のルーティーンです。速報記事のスクショだったり、「寝てる間に200号!」などのメッセージだったりの大谷ホームラン情報に、お互いの短いトピックを添えたりもします。「これから名古屋出張!」とか、「家族と箱根に来てる」とか。稀代のスーパースターを仲介役にさせた、なかなか楽しいこのコミュニケーションは、Kと久し振りに会った日の夜、東京駅高架下の居酒屋で交わした会話がきっかけとなりました。

「久し振り」とひとことで言いましたが、Kと会ったのは、私の結婚式で乾杯の音頭を取ってもらって以来ですから、ちょうど30年振りです。久しぶりにも程がある、という感じですが、ある関係性においては、時間は矢の如く過ぎていくんだということを、身に染みて感じているところです。

旧友の現在

高架下の居酒屋に行く前に、Kに現在の仕事の拠点となっているオフィスビルに来てもらいました。そのビルのフリースペースは広々として景色も良く、なかなかいい空間なので、簡単にオフィスツアーをしたのですが、その時受け取った名刺には、彼が大手ハウスメーカーの執行役員であることがしるされていました。

Kがサラリーマンとして成功を収めたことを本当に嬉しく感じましたが、彼が社会に出たらそれなりの事はするだろうと、あの頃から漠然と感じていましたから、驚きではありませんでした。学生時代、私と双璧をなすほどの劣等生ではあったKが、ひとつひとつの事柄を積み重ね、苦悩しながらも、立ちはだかる様々な障壁から逃げることなく、前進し続けてきたであろうことが、変わらない語り口や表情から、その人生をあたかも目の当たりにしたかのように実感したのです。

大谷のホームランとジャパニーズビジネスマン

「大谷がホームランを打つと元気になる」 

「俺もその日1日気持ちがいい」 

何杯目かのハイボールを飲みながら、そんなやりとりをしました。それぞれに戦い続ける日々の中で、大谷翔平という日本人が、「大リーグ」という夢のステージで輝きを放ち続けている現実を、日本の多くのビジネスマンが、その日一日の勇気としていると思います。そしてKも私も、今なお闘い続けるジャパニーズビジネスマンのひとりなのです。大谷選手についての会話は、このやり取りだけでしたが、大学時代、ただひとり心を許した友も同じように日々戦い、大谷選手の活躍に力を貰っているということが、なんだかとても嬉しかったのです。

変わる、変わらない

人が年齢を重ねた結果として、変わったとか変わらないとかって言うけれど、それってどういう事なんだろうと、Kと別れた後、東西線快速に揺られながら考えていました。Kはあの頃と何も変わっていませんでした。

でも、そんな事ってあるんでしょうか? 私たちは30年という、とてつもなく長い時間を全く別の場所で、それぞれが会ったこともない人たちとの関わりの中で、抑えきれない歓喜や、屈辱の涙を幾度となく味わいながら生きて来たのに、です。

それでも、僅か数時間の再会ではありましたが、KがKのまま歳を重ねたことが分かりました。彼も私について同じことを言いましたが、もしそれぞれの同僚や部下達が、時代を遡ってあの頃の私たちを見たら、どう感じるでしょうか。少なくとも「変わってませんね」とは思わないはずです。なんだか不思議です。そんなことを考えているうちに、東西線は西船橋を過ぎ、東葉高速鉄道に変わっていました。

「歩き方、昔のままだな。変わってないね」

私の仕事スペースに向かうエレベーターの中で、Kはそう言って笑いました。

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