恩師のことば

会社設立

事業開始まであと少し

独立起業をこの車両で決意してから少し時間が流れました。今春の事業開始に向けて準備を進める中で、初めての経験や新しいチャレンジがあり、これまでに感じたことのない高揚感の中で日々を過ごしています。それでも時折、なんとなく不安になることもあります。

そもそも、起業を決めたときに感じた、「漲る自信」には何の根拠もなかった訳ですし、今もそんなものはどこにも無いのですから、不安にならない方がおかしいのかも知れません。そんな弱気の虫が顔を覗かせそうになった夜の東西線で、何の前触れもなく、ひどく唐突に、ずいぶん昔の思い出が蘇って来たのです。

超絶怖い上司

出向先で任された難題だらけのプロジェクトに翻弄され、心身ともに疲弊して、全てを投げ出しそうになっていた深夜のオフィスでの出来事です。何をどうしていいか分からなくなって、途方に暮れていた20代半ばの私でした。

「もう無理かも知れません」

私の弱音を隣の席に腰をかけて聞いていたのは、顔も声も何もかもが超絶怖い営業本部長のSさんでした。思い返せば、社会人になってから私が泣き言を口にしたのは、後にも先にもこの時一度きりだったと思います。

恩師の言葉

しばらくの間、超絶怖い目でじっと私を見ていたSさんは、すっと立ち上がると私の肩を「ぽん」と叩き、去り際にあのザラザラとした震えあがるような怖い声で

「大丈夫、お前ならやれる」

と言ってくれたのです。

30年以上という年月を経た今でも、渋谷のオフィスの埃っぽい照明や、無数の資料が散乱したデスクの様子と共に、ザラザラした声と分厚い掌の感触をひどく鮮明に思い出す事が出来ます。それは全ての自信を失っていた私を救ってくれたひと言でした。今でも、その言葉が深い部分で私を支えてくれています。

不安やら後悔やら

その後の長いサラリーマン人生において、果たして私は、疲れ果てている誰かの肩をそっと叩いた事が一度でもあっただろうか、誰かの生きる支えとなり得る言葉をかけたことがあっただろうか?

振り返って考えると全くもって自信がありません。思えば、私はあの時のSさんの年齢を優に超えているのです。

何をやって来たんだろう、と私は真っ暗な車窓を見つめましたが、そこには随分と年をとった私の顔が映っているだけです。人生においては、悔やむ事が結構多い訳です。

わずかな不安と後悔を抱えた私を乗せて、東西線はカタカタと音をたて、時折立ち止りながら、それでも確実に東に向かって進んで行きます。

そしてその乾いた音に紛れて、かすかに、故人となったかつての恩師の声が聞こえたような気がしました。

「大丈夫、お前ならやれる」

と。

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