旧友の来訪
東葉高速鉄道 船橋日大駅の小さなロータリーに車を停めて、RCサクセションの古いアルバムを聴きながら旧友の到着を待っていました。ずいぶん古くからの友達です。
バックミラーに改札から出てきたCが映ったのを確認して、私は車を降りて彼を迎えました。よお、と手を上げたCの後に、彼の家族が続いて歩いてきました。その光景を見て、あいつも立派になったものだ、と思いましたが、考えてみれば当たり前の事です。我々もあと少しで還暦を迎えるのですから。
同級生
私たちはN大付属高校の同級生で、ふたりともそのままN大に進学しました。大学を卒業すると私はサラリーマンになり、Cは就職せずにオーストラリアをバイクで放浪したり、九段下にあった古い喫茶店を継ぐ勢いで調理師免許を取得したり、バンドを始めたり、脈略のない20代を送っていましたが、いつの間にか再びオーストラリアに渡り、オーストラリアの女性と結婚して、ブリスベンで日本料理店を開業しました。
約20年間、その店を営み、数年前にその店を売って、今は悠々自適、シェフのパートタイムで小遣いを稼ぐ他は、DIYとゴルフの日々を過ごしているようです。波乱に満ちていながらも堅実な、なかなか眩しく逞しい半生です。
それぞれの人生
高校時代、Cは勉強もスポーツも出来る優等生でした。一方、自由奔放に高校生活を謳歌し、ラグビー以外はすべていい加減な不良少年だった私ですが、彼とは妙にウマがあったのです。私たちふたりと、私たちのこれまでの人生を並べて、当時のクラスメイトに紐づけをさせたら、十中八九、現実と逆の組み合わせを選ぶはずです。人生は本当に分かりません。
久しぶりに家族を連れて帰国したCを自宅に招き、ささやかな宴を催しました。リビングは片言の日本語と英語が飛び交っていて、グローバルな様相です。Cが彼の家族と普通に英語で会話しているのを不思議な感覚で見ながら、ずいぶん長い時間が流れたのだなあ、とひとり納得していたのです。私が会社を辞めて独立することを話すと、Cは少し驚いて「まだ働くのか?」みたいな表情を浮かべましたが、口にせず、好きにやれよという感じに「そうなんだな」と頷きました。
RCサクセションとカセットテープ
久しぶりにCと話しているうちに、ずいぶん昔の記憶が蘇って来ました。覚えたての麻雀でCに大きく負けた放課後の教室での記憶です。
「今日の負け分、レコードで払ってくれない?」
「いいけど何買えばいいの?」
「RCサクセションの新しいLP」
「お前、RC好きなの?」
まだブレイクする前のそのロックバンドが好きだというクラスメイトの出現に、私は狂喜しました。その頃、私の周りにRCサクセションを知ってる奴なんていなかったからです。
私は麻雀の負け分2,500円の代わりに、リリースされたばかりのNewアルバム「BLUE」を買ってCに渡し、Cはそれをカセットテープにダビングして私にくれました。そんな風にして、16歳の私たちは友達になったのです。
青春時代という季節
Cにその話をすると、「BLUE」はちゃんと実家に保管してると答えました。そしてあの日の教室での出来事も、私と同じようにはっきり覚えているようでした。
大学を出てから35年以上、ほとんどの時間を私たちは全く別の場所で、全く似通わない道を歩んできました。それでもあの頃、この長い人生に比べればほんの短い期間でしたが、一緒にRCサクセションのイカしたナンバーを聞き、250ccのオートバイを乗り回し、信じるべき者達について語ったかけがえのない時間は、私達の人生の骨格をなす、大切な時間だったのだと思います。
きっとそんな時期を「青春時代」と言うのでしょう。私達は私達の青春時代を経て、それぞれがそれぞれの人生を、それなりに懸命に、時に奔放に、時に堅実に、笑ったり泣いたりしながら歩き続け、何とかここまで辿り着いたのです。16歳のふたりが今の私たちを見たら何と言うでしょうか?叶う事なら聞いてみたいものです。
「悪くないね」
と言ってくれればいいのですが。