お盆
今年もお盆がやって来て、私はいつものように迎え火を焚き、我が家の死者たちを迎えました。地域によってやり方に違いがあると思いますし、そもそもそのような習慣がない家庭の方が多いと思いますが、私の母親の里が、昔ながらの風習を大切にする集落であったことと、私の家には昔から「死」が身近にあったこともあり、迎え火や送り火で死者たちの里帰りをサポートすることが習慣になって、余程のことがない限り欠かすことのない恒例行事です。
この時期になるとスーパーやホームセンターに並ぶお盆グッズの中におがらもラインナップされていますから、同じような家庭も一定数あるのかも知れません。
里帰り
我が家に戻ってくる死者は、今のところ、4人と3匹(犬)です。そこそこ賑やかなお盆ではありますが、もちろん、彼らの姿や声を見たり聞いたりすることは、少なくとも私には出来ません。気配だけでも感じてみたいと思うのですが、こればかりはそうそう叶うものでもなさそうです。
とんでもなく暑い8月13日の午前中、線香を手向け、迎え火を焚くだけで汗だくです。久しぶりに我が家の墓を前にして、手を合わせて頭を垂れてみても何かを感じることがないのは、あちら側ではなく、こちら側に問題があるのかも知れません。
いづれにしても、死者となった家族がいつか、里帰りした際にひと言かけてくれればいいなと思う、猛暑のお盆です。今までそんな事思ったことは無かったのですが、何か私の中に微妙な変化が生じたのでしょうか。
特攻隊の終戦
私の死生観には少し変わったところがあります。それは父の影響が大きいと感じます。私の父は第二次世界大戦の末期、特攻隊の一員として鹿児島の知覧特攻隊基地でその日を待っていたと聞いています。ポツダム宣言の受託がもう少し遅くなっていたら、父は特攻で戦死した4,000人の若者たちに名を連ねていたのです。
まだ18歳に満たかった父はどんな思いで「その日」を待っていたのでしょうか。
そして、「その日」が無くなったと知らされた時、何を感じたのでしょうか。私が父と向き合えるようになる前に、父は他界してしまったので、それを聞く事は永遠に叶わなくなりました。
特攻隊の生き残りとして、父がどのような思いでその後の人生を歩んできたのかを知ることは出来ません。ただ、私は幼いころから、父が何も恐れていないということを、実感として強く感じ続けていました。特に権力や暴力に対して。そして「死」に対して。
終戦記念日
終戦記念日が来ると、死者たちの里帰りも終わりです。お盆は日本人にとって「生」と「死」が交じり合う期間です。送り火を焚き、彼等が迷わず「あの世」に戻れることを祈り、また来年も無事里帰りが出来ることを祈って、今年もお盆が終わります。私は熱心な仏教徒ではありませんが、死者と家族の事を想うこのお盆という日本の伝統的な仏教行事を大切にしたいと思っています。
願い
私は2011年に大きな病気を患い、「死」に最接近しました。東日本大震災と同時期だったこともあって、「死」に真正面から向き合う事となりました。そしてその作業の中で、昭和20年の盛夏に父が何を感じ、誰を想っていたのか、強く知りたいと思ったのです。
いつか、家に里帰りした際に、少しの時間でいいので、声だけでもいいので、私のそばに来て、「その時」の事を話して欲しいと思います。
まあ、なかなか難しいとは思いますが。